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米国大統領選とアメリカ経済

国際大学 日米関係研究所
研究員  信 田 智 人



 「20世紀はアメリカの世紀」と戦前に語ったのは、タイム・ライフ社の社主、ヘンリー・ルースであった。その予言どおり、米国は文化の発信国として、そしてその圧倒的な経済力で、全世界に大きな影響力を持ち続けた。相対的な地位は低下してはいるが、GDP7兆ドルの米国経済が依然世界一であることは間違いない。

 現在の米国産業は、金融、情報サービス、航空機、コンピュータ、通信機器、医薬品などのハイテク分野で世界一の地位を誇っているし、自動車、鉄鋼など以前には衰退の傾向を見せていた産業も挽回し、米国産業の自信も大きく回復し、21世紀もアメリカの世紀だという声が強まっている。

 どの経済大国も衰退の道をたどると主張したポール・ケネディの『大国の興亡』がベストセラーになった一方で、マーティン&スーザン・トルチン夫妻の『アメリカ買収』やパット・チョートの『影響力の代理人』などの日本の経済力と影響力を懸念する日本脅威論が世論をにぎわせた80年代末と大きな様変わりをみせている。

 一方、アメリカ経済は財政赤字という大きな問題を抱え、その解消策が大統領選挙に大きく影響することが予想される。本稿では、クリントン政権の歴史的位置づけを説明し、クリントン政権下の日米経済問題、米国経済とその96年大統領選への影響などについて分析する。

二大政党と経済政策

 1787年に制定された米国憲法を進めたのは、ジョージ・ワシントン初代大統領をリーダーとしたフェデラリスト(連邦党)だが、これが米国の最初の政党となった。米国憲法が定める連邦制は、中央政府と州政府が権力を分かち持つという制度であり、中央政府の権力を強く制限するものである。連邦党は国民共和党、ホイッグ党と名前を変え、現在の共和党につながっているが、北部産業資本家を支持基盤としたこの政党には、ジョン・アダムズ2代大統領などの政治思想を汲む小さな政府を主張する伝統が流れている。

 連邦党の後に南部を(のちに西部も)支持基盤としてできたのが民主共和党で、これによって米国は二大政党制が定着していく。1800年にこの党を代表するトーマス・ジェファーソンが初めて選挙で選ばれた大統領となったが、それ以降この党は途中、民主党と名前を変えながら40年間も政権を独占することになった。ジェファーソニアンと呼ばれる初期の民主党支持者は、「政府の関与は少ないほどよい」という考えを持っていた。

 現在では民主党は逆に中央政府により大きな役割を見いだす傾向にあるが、この傾向が顕著に表れるのはフランクリン・D・ルーズベルト大統領以降である。1929年に大恐慌が起きたときに、景気回復のためにニューディール政策という積極財政策がとられ、以後米国経済に対する中央政府の役割が強大化した。民主党大統領の積極財政策の伝統は戦後も続き、1960年代のジョン・F・ケネディのニューフロンティア政策やリンドン・ジョンソンの「貧困との戦い(War On Poverty)」などに受け継がれている。

 こういった積極財政策の背後にあったのは、正義と機会均等の実現のために政府を積極的に活用すべきだという、民主党のイデオロギーとなったリベラリズムである。現代のリベラリズムのルーツは、前述のルーズベルト大統領のニューディール政策である。大恐慌は市場機能の限界を示したものであり、政府が市場の行き過ぎを抑制しなければならないという考え方から進められた。これは貧困者を援助し、失業者に職を与え、住宅、医療、教育の与えることを意図する福祉国家的なリベラリズムという側面をもった。この後、民主党内のリベラル派は分裂の方向に向かう。

 ハリー・トルーマン政権時代に冷戦構造が出現し、民主党内でニューディール派から反共派が枝分かれしていった。さらに、1960年代に入ると、公民権運動がさかんになり、公民権をめぐって南部の民主党が分裂を始めた。1976年に大統領となったジミー・カーターは、ハト派リベラルであったが、景気後退とインフレにみまわれて不評だったうえに、テヘランの米大使館人質事件やソ連のアフガン侵攻などで、米国の威信を損ねたと国民の支持を失い、リベラリズム自体も衰退の傾向をたどる。

 1980年大統領選にカーターに対向して出てきたのは、「4年前に比べて暮らしは良くなっているか」という問いかけをスローガンにしたロナルド・レーガンだった。カーター政権に強い不満を抱いた、いわゆるレーガン・デモクラットと呼ばれる、主に南部の民主党白人層が大量に共和党候補に投票した結果、大差でレーガンが圧勝した。これを機に民主党が危機感をおぼえるようになった。

 その次の1984年の大統領選で、伝統的リベラル派リーダーだったウォルター・モンデール元副大統領がやはり大差で敗れると、民主党の危機感はさらに強まった。1988年大統領選で民主党候補として勝ち残ったのは、ギリシャ系のデュカキスだったが、選挙キャンペーンでリベラルのレッテルが貼られ、やはり大敗する。危機感を強く持つ民主党内ではネオリベラルと呼ばれる中道派のリベラリズムが台頭するようになる。  そんななか1992年の大統領選を勝ち進んできたのは、ネオリベラル派の民主党リーダーズ・カウンシルをバックにするビル・クリントンであった。ネオリベラルによる国家再生の方策は、中流階級のアメリカンドリームを実現するような環境づくりであり、そのためには起業家精神や自由な企業活動を刺激し、R&Dや教育、インフラなどへの投資にあわせて、財政赤字削減による民間投資の促進をはかろうとするものである。現職のブッシュ大統領の内政の無策さに比べて、国家再生を叫ぶクリントンの主張は新鮮に聞こえ、12年ぶりに政権の座を民主党の手に取り戻した。

日米経済関係とクリントン政権

 1992年大統領選におけるクリントンの公約は、アメリカファースト。つまり、外交ではなく、米国の内政問題を優先するのだという主張だった。そのなかでも、経済問題が最大の優先事項で、選挙キャンペーン中には「It's the economy, studpid! (わからないのか、問題は経済だ)」と、外交政策での成果を誇らしげに語るブッシュ陣営を揶揄するようなスローガンを利用した。クリントンはある意味では、米国の経済面での自信回復を計ろうとしたのである。これは、1980年にレーガンが外交面での自信回復を呼びかけて当選したのと対照的である。

 経済回復のためには、財政赤字と貿易赤字を削減する必要があるし、情報ハイウェイの推進などの産業政策もクリントンの公約には含まれていた。こういったクリントンの経済政策のどれもが、対日経済政策における態度の硬化につながったのだともいえる。昨年、貿易戦争の勃発かとメディアを騒がせた日米自動車問題は、米政府の態度強化の行き過ぎが出た結果だったと思われる。

 なりふりかまわず数値目標にこだわり続けたミッキー・カンター通商代表の姿には、歴代の通商代表のような国内利益と外交問題の間を調停してきた政治ブローカーの面影はまったく見受けられなかった。また、これまでなら貿易交渉者の行き過ぎを注意するはずの国務省や国防総省の声も聞かれなかった。いろんな意味で、クリントン政権は共和党政権とは違うパターンで動いていた。

 米国政治学者のロバート・パスターは米国における貿易問題には、Cry-and-sigh Syndromeと呼べるパターンがみられると書いた。つまり、米国の産業が輸入製品に脅かされて悲鳴 (cry)をあげる。国内企業からの訴えを聞き、議会が保護主義法案を提出する。議会からの保護主義の圧力を受けて、保護措置を回避すべく、行政府が外国政府との交渉に乗り出す。交渉が成立し、保護主義的な政策が回避されて、行政府も議会も外国政府もやれやれと安堵のため息(sigh)をつく。80年代の日米貿易摩擦は、自動車問題であれ半導体問題であれ、このようなパターンを少なからず踏襲している。

 ところが、今回の自動車問題では、米国のビッグスリーは史上最大の利益をあげていて、決して悲鳴をあげるような窮地に追い込まれてはいなかった。だから、この問題は議会が主導したのでもなかった。共和党支配となった下院のニュート・ギングリッチ議長は、むしろあまりに高圧的なクリントン政権の態度を批判する側にまわっていた。ブッシュ政権で通商代表を務めたカーラ・ヒルズ女史は、テレビ討論で日米関係を悪化させるだけの行き過ぎた強硬姿勢とカンター代表を批判した。中間選挙での大敗を挽回するために、クリントン政権が日米自動車問題で点数を稼ごうとしたに違いないという意見が強いのも、米国側の主役だったカンター代表が前回と今年の選挙参謀をつとめることを考えるとうなずける。

 クリントン政権側は強硬にでれば、最後には数値目標で日本がおれると考えた形跡がみられる。しかし、日本政府は米国側の理不尽な要求に対して、国際世論に訴える方策に出た。1995年5月のOECD定例会議で松永信雄元駐米大使を動員して、ヨーロッパを中心とする各国に働き掛けたのである。ヨーロッパ諸国は日本市場には閉鎖性が残るとしながらも、米国の301条を使った一方的措置に対しては批判的な態度を表明した。米国を非難する決議案では、米国を除く全24か国が決議案に賛成した。OECDでは全会一致が原則なため、決議案は成立しなかったが、米国への強い圧力をかけることになった。

 こういった国際世論を受けて、日本はおれそうにないと判断した米国は、当初取り上げる予定だった自動車問題を村山・クリントン首脳会談では触れないという方針に急遽変更した。6月末の決着では、米国が目標値を示すが日本政府は一切関知しないという不合意の合意声明が発表され制裁が回避されたが、最も大きな安堵の息を発したのは、カンター代表その人だったかもしれない。制裁が発動され、日本のWTO提訴で米国がWTO違反だという判決が下されれば、大統領選を迎えるクリントン陣営に大きな痛手となったのは間違いないからである。

大統領選と財政赤字問題

 橋本政権発足すぐに池田行彦外相が訪米し、日米経済問題で金融や半導体問題などいくつかの課題を押しつけられはしたが、対日関係が大統領選の争点になることはこれまでもなかったし、これからもないであろう。逆に、ウォルター・モンデールやリチャード・ゲッパートなど、これまで対日強硬姿勢に言及した候補者は選挙で成功をおさめられなかった。とくに今年は予算成立の障害となっている財政均衡策と福祉問題を中心とする国内経済問題が最大のテーマになるのは間違いない。

 最近の選挙では、景気の良い年には現職もしくは政権党候補が当選し、景気が悪くなると政権交代が行われるという傾向が続いている。前述した1980年はインフレでカーターが敗れているし、財政拡大政策で好景気をもたらしたレーガンは4年後再選を果たしている。その次の1988年の選挙では米国の経済成長率は3.9%と高く、レーガン政権の副大統領だったブッシュが当選したが、そのブッシュの再選は1992年の2.3%という低めの成長率によって、阻まれている。景気を盛り上げるために財政拡大政策をとりたくても、財政赤字がとれない状態だったことも響いていたのだろう。今年春までの経済成長率は、鈍化して、おおかたのエコノミストの予想では1%程度だというから、クリントン大統領に有利に展開させるためには、公定歩合引き下げによる金融政策をとるだろうが、11月の大統領選に間にあうかどうか。

 1990年代の米政府の財政赤字は年間2,500~3,000億ドルというレベルに達しており、国債残高は5兆ドルにのぼる。米国の地方自治体はまず財政均衡しているから、ほとんどが連邦政府の赤字とみて良い。この額はGDPの70%にもなっており、1980年の33%から急速に増大している。

 財政赤字拡大の犯人は、減税と軍事費を中心とした財政拡大政策、レーガノミクスだったというのは、専門家の一致した見方だ。数字がなによりも如実にそれを物語っている。レーガン第一期政権の一年目の1981年に790億ドルにすぎなかった財政赤字が、第二期の一年目にはその3倍近い2,120億ドルに膨れあがっている。それ以降も共和党政権下で、赤字の拡大は鈍ったとはいえ続き、クリントンが政権に就いた1992年には2,900億ドルになっていた。

 米国の財政赤字は、人口一人当たりでみると国債発行残高220兆円の日本とほぼ同規模といえる。しかし、赤字が米国にとって一層深刻なのは、国内の貯蓄率が低いためである。レーガノミクスの信奉者にとっても、予想外だったのは経済成長によって収入が増えたのに、貯蓄が増えるどころか、逆に減ったことだろう。家計と企業の貯蓄率は、1980年の16.9%から、1990年には12.9%にまで、つまりGDP比で4%も落ち込んでいる。家計経済だけの貯蓄率をみると、5.6%から3.2%と同10年間に4割以上の落ち込みを見せている。

 さらに、貯蓄率が低いだけではなく借金も多く、その数字はショッキングですらある。昨年6月のデータで、国民の可処分所得の総額が5兆2千億ドルなのに対し、家計部門の借金総額が4兆8千億ドルと、ほぼ収入に等しい借金総額を抱えている。また、一般家庭の平均貯蓄額が3,900ドルに対し、クレジットカードの残高平均、つまり借金がほぼ同規模の3,300ドルである。これは、平均の数字であるから、借金で首が回らなく者が多くなるのは当然で、1994年の個人倒産が78万5千件も出ている。  政府部門で赤字、家計部門で赤字ということだから、海外からの資金流入で赤字を埋めるしかない。だから資本会計は黒字になるが、その分貿易収支を含めた経常収支は必然的に赤字になる。日本政府が繰り返し主張する、米国の財政赤字がなくならない限り、日米の貿易不均衡は改善しないというのは、そういった理由だ。

 しかし、財政赤字が悪いものかどうかについては、学者のなかでも見解は一致していない。赤字がいくら増えようが、ぜんぜん問題はないと極論する学者もいる。財政支出は一種の投資だから、長期的にみてそれに見合うようなリターンがあればいいわけだ。要するに問題なのは、政府部門の投資の効率性であって、赤字の額ではないというのが、この見解の主張である。

 赤字が問題だという専門家は、この議論を踏まえたうえで、政府に効率の良い投資ができるわけはない。民間の市場原理にまかせた方が効率の良い投資ができるわけだから、政府の赤字で資本を吸収するより民間部門に資本を回す方がいい。財政赤字は将来返さなくちゃならない借金だから、後世の国民に借金を一方的に押しつけるのは公正ではない、という主張になる。専門家の間でも意見の統一がみられず、最近まで真剣な財政削減の意欲は見受けられなかった。

財政赤字削減策をめぐる攻防

 ところが、1994年の中間選挙で共和党が上下両院を支配するようになり、鳴り物入りで下院議長に就任したニュート・ギングリッチは、大胆にその公約だった「アメリカとの契約(Contract with America)」の一環だった、財政均衡法案を進めた。その功績をもって、タイム誌のマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたほどだ。同誌の選考の理由は、「財政均衡対策がとられるかどうかではなく、いつとられるかというところ」まで、議論が進んだのはギングリッチ議長のおかげというのだ。

 確かに、米国の財政赤字を削減しなければならないというコンセンサスはすでにできている。1月23日に発表された年頭の一般教書で、クリントン大統領が「大きな政府の時代は終わった」と、まるで伝統的な共和党の政策綱領を踏襲するかのような演説をするようになった。

 しかし、どのような形で財政赤字を削減していくのかについては、まだ本稿執筆の時点では合意には達していない。11月の大統領本選挙までに、議会と行政府との間で合意ができないという見方もあるが、クリントン大統領側が徐々に妥協していかざるを得ない展開になっている。

 クリントン大統領は当初、共和党案の財政赤字削減法案には、大統領選との絡みがあって慎重な態度をとっていたが、湾岸戦争の英雄で国民の支持率が高く、強敵になると考えられていたコーリン・パウエル氏が不出馬宣言をすると急に強気になって、態度を硬化させるようになった。対立姿勢が全世界に明らかになったのは、財政赤字削減策を議会共和党が暫定支出予算の修正案として議会に提出し、クリントン大統領が拒否権を発動したためだ。連邦政府の支出が執行されず、ワシントンの政府窓口が2度にわたって閉鎖されたことは記憶に新しい。その財政危機のため、クリントン大統領は大阪でのAPEC非公式首脳会議を出席を断念したほどだ。

 クリントン大統領は財政赤字削減を1992年大統領選挙の時の公約にしており、はじめから削減策というコンセプト自体には反対していない。問題は、いつまでに、どうやって削減するかだった。当初の最大の対立点は、赤字解消の目標を7年にするか、9年にするかだった。共和党の7年案は2004年の大統領選を念頭においたもので、財政赤字解消を共和党の成果として、大統領選を有利にしようとする政治的な案であった。クリントン大統領は9年案を主張していたが、7年という案に早い時期に合意した。もっとも、これについては2月初めに発表した経済報告で、2002年までに赤字解消すると達成目標を繰上げるという形で巻き返しに出ている。

 次の争点となったのが、どの経済予測に基いた計画を立てるかだった。基にする経済成長率が違えば、歳入額と削減する予算目標も変わってくるというわけだ。当初ホワイトハウス側が楽観的なOMB(行政管理予算局、日本の大蔵省主計局のように政府予算案を立案する機関)の見積もりを使用したのに対して、議会側はCBO(議会予算局)の経済予想を基に立案していて、両者に3,000億ドル近い収支の差があった。これについても、クリントン大統領側が議会側の数字を使うことで妥協した。

 2回の連邦政府閉鎖について、国民の非難を受けた共和党側も、3回目の閉鎖になれば共和党がまた悪者扱いされると感じ、1月26日夜、共和党議会とクリントン政権の妥協案が圧倒的多数で採択され、期限切れ3時間前に大統領の署名を得て、3月15日までの臨時歳出案が執行されている。ところが、この妥協案のなかで共和党が撤廃もしくは大幅削減を主張してきた政策や政府機関の予算が大幅に削られていて、クリントン政権は不本意ながら、共和党の提示額を飲む格好になっている。

 今後、焦点は医療、社会福祉、教育、環境などの政府支出をどれだけ、どのように削減するといった具体的な点に移っていく。クリントン大統領は現職の大統領として、支出を削減しなければ赤字削減に真剣に取り組んでいないと批判され、削減すれば対象になる政策の受益者の支持を失うというジレンマを抱える。赤字削減がコンセンサスになったとの判断から、「大きな政府の時代は終わった」と断言したクリントン大統領だが、それが後になって共和党との交渉で響いてくるかもしれない。

 こういったクリントン大統領の苦しい立場は、選挙の年にみられる特有の世論の変化に大きく左右されることになるだろう。1992年大統領選挙で候補者だったジェリー・ブラウン元カリフォルニア州知事が主張した時は真剣に受けとられなかった税率一律のフラットタックス案だが、似たような案を主張するスティーブ・フォーブス氏がニューハンプシャー州の世論調査で、最有力候補のドール上院院内総務を凌駕するといった興味深い現象もみられている。また、トラベルゲートやホワイトウォーター問題などのクリントン大統領がらみのスキャンダルも、選挙で大統領を不利にするだけでなく、ホワイトハウスの政治力を弱め、赤字削減でのより多くの譲歩を強いるようになる可能性が高い。赤字削減策と大統領選のゆくえについては、まだまだ予断を許せない状況である。